歴史の定説では、大阪夏の陣で、豊臣秀頼と淀君は自害し、その後、秀頼の子、僅か8歳も討ち首となり、豊臣家は滅亡したとされています。
しかし、豊臣秀頼は、ひそかに大阪城から脱出して、薩摩(鹿児島県)に逃げおおしたという伝説があります。
その伝説は、本当でしょうか?
神様のお考えを、少しでも...いや沢山教えて下さいませ。
どうかよろしくお願い致します。
淀君も豊臣秀頼も、その子も、大阪城で朽ち果てました。
子だけは...救おうという事を...指揮をとっていた者はおったが、「それは、出来ぬ」と家康は判断し、命を下した。気の毒な事でしたが...とおっしゃっています。
大阪城は、その時、燃え落ちたのですが、その時その場所でお亡くなりになられた方は、その場に数百年...地縛霊となっておられました。
ただ、秀頼さんの子供さん...そういう小さな子は、すぐに地縛を解かれ、上がっていかれたそうです。
すぐに霊界・天国に上がっていかれたという事だそうです。